人文学の本を出版するにあたっての背景

今回のブログから、人文学の本を海外(アメリカやイギリス)の大学出版社から出版することについて述べたいと思います。ただ、それについて、現状において日本でははより学術ジャーナルより論文を出版することがより重視されているのではないかと思います。一方で多様な学科やポジションが生まれている関係から、少しづつ海外のジャーナルから論文を出版したり、出版社から本を出すことを促すような状況もあるのではないかと推測しています。なので、読者としてはかなり限定的になるかと思われれますが、それでも直接関係あるないにかかわらずこういう話もあるのか、と思ってくれれば幸いです。

ただ、今回はそもそも本を出版することができる前提や背景を書きたいと思います。テクニック論(どうやって出版社にアプローチする、プロポーザルを書く、どうやって博士論文を改定するなど)もあるとは思いますが、そもそも論について書かなければ、あまり意味があるように感じられないからです。

自分としては言いたいのは、結局自分たちに本を書くことが許される時間・ポジション・お金・法的身分・心理的ゆとり・家庭環境・健康その他もろもろ条件がそろっているかに尽きると思います。博士論文を書き終えてから、2-3年の間に改定、査読、契約、製本過程まで終わることができる人のほうが稀で、自分がアメリカで見る限りより時間がかかってるように思います。というのも、博士号を得た後、安定的なポジションを得ることは日本もアメリカも難しく、教務をしなくていい研究期間を確保するのは困難です。自分も2015-2018年に就職活動をし、2018-2019年は就労ビザを得るために突然日本に帰らないといけなくなるなど、法的な問題も存在しました。これらの目に見える事項は言うまでもなく、個々人の心理状態や家族の状況もかかわりますし、病気をするようなことも増えてきて、あらゆるハードルに合わざるを得ません。自分が正式に本の計画書をケンブリッジ大学出版社に提出したのは2017-2018年度でしたので、それ以来もはや7年近くかかってしまっています。途中にコロナや現在ではサイバー攻撃など予想できないような事態もあり、正直どれくらい人文学の本を出す環境が今後も残されているか疑問に思ってしまうくらいです。

今回は少し悲観的な事項の羅列になってしまいました。日米ともに今後の大学教育等を見るにつけ、事態は別に改善もせず、どちらかといえば本を出版することになったとしても、自分のようになんとか這いつくばって本を書く人のほうが多いと感じています。結局、より可能性のあるような読者をないがしろにして、あまり期待できない事例を上げても意味がないと思い、少しは意味があるのではないかと思ってブログを書き続けようかと思います。それではご拝読ありがとうございました!

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