人文学の本を出版: メール等のコミュニケーション

前回、海外の大学出版局から学術本をするための背景について書きました。一言でいうと、外部環境、心理的条件などが揃ってることが前提条であるということです。その一部は精神論的な部分もあるのですが、総合的にすべてが問われているという文脈で理解していただければ助かります。その点において、実際のプロセスに入る前にもう一つ全体の過程に関係することについて述べたいと思います。それは大まかに言えばコミュニケーションの問題なのですが、特にEmailについて書きたいと思います。

というのも、意外と当然視されてあまり討論されてなく、それでも大事だからです。想定する読者が日本の方であり、であれば出版社との連絡はメールになると思われます。そこで、考えられる問題、時差、分量、文面、姿勢について書きたいと思います。

自分の場合、ケンブリッジ大学出版局の主たる編集者とは一度アメリカのアジア研究学会(AAS)でコロナ前に一度会って話したきりで、それ以降はメールでのやりとりです。その編集者は主に本の草稿の内容や外部審査に関することを担当しており、その他には本が採用された後の編集やマーケティングを担当している人、さらには製本過程の担当の人(途中で変更があり、二人)とメールにてコミュニケーションを取ることになります。自分が住んでいる場所はアメリカ東海岸で、ケンブリッジはイギリス時間で、5時間の時差があります。主に、担当の二人はイギリス時間の朝から昼にかけてメールを自分に送ってくることから、自分は朝起きると関連するメールがくることになります。非常に重要なメールが想定されるような時は、正直朝メールを開けるのも緊張したことを覚えています。単純に時差の問題なのですが、それによってメールを読む、返すという作業もより苦痛を伴うようなこともありました。

次に、分量なのですが、正直数えたことがありません(笑)。上記にあるように当初は一人の主たる編集者 (Acquisition Editorまた違う名前もあり)とのやりとりなのですが、その後さらに二人とメールを交換するので、そこそこの数になってると思います。どんな仕事でもメールのやりとりはあると思いますが、自分も大学内部や他の事項に加えて、出版局の方とそれぞれに沿った内容のメールを送るというのは、なんとか今までやってきましたが、骨が折れるものであると思われます。きっと効率的な方法があるとは思いますが、わからないので教えて欲しいくらいです。学生から似たような質問や欠席の知らせみたいなメールには、紋切りの返信を準備しているのですが、出版局とのやりとりはそうはいかず、集中力を使う事が多いです。

文面については、英語とどういう形でメールを送るのかという問題があると思います。読むのは英語を使ってても、アウトプットとして、英語でメールを書くというのは面倒なことだと思います。自分は修士のころからアメリカに来て、それこそ数多く英語でメールを書いてますが、それでもどうやったら自然な表現や的確な文面が書けるのだろうか未だに悩んでいます。慣れるしかないとは思うのですが、最近ではメールの定型文などをネットでも探すことができると思います。少なくとも初めて連絡するような場合は、礼儀は失さないように注意すべきです。と同時に、AIにすべて任せて書いてもらうのも問題があり、できれば少し文法などのミスをしてでも自分の言葉で書くように心がけたいです。自分も面識のないところからAIに書いてもらったような連絡や申請等のメールをもらうのですが、迷惑メールに入る入らないにかかわらず、「ゴミ」として認識してしまいます。やはり編集者は相手の研究内容だけではなく、どういう人かを見てる可能性はあると思います(確認したことはないですけれども)。

最後にメールを含めた連絡をしていく上での姿勢の問題です。これは自分もよくしてしまうのですが、一旦何かを質問する、要求する、確認する連絡をした際に、ボールが向こうに投げられたので、返事するのは先方の責任であり、我々は待ってしまうという問題です。そういうことはありませんか?自分は今でもあります。一番極端なのは、初めてアメリカのジャーナルに提出した際に、一回目の外部審査が11ヶ月間経過しても返事が来ないので、その時になって初めて編集者に連絡したことです。これは単純にミスであり、だいたい3-4ヶ月しても返信が無かったら、こちらから連絡するべきことなのです。先方は悪意があるわけではなく、単純に色々なことに忙殺されて見逃してただけのことであり、連絡してもらえたら逆に助かるぐらいだからです。この例を出したのは、本の原稿の外部審査はそれより早かったですが、それでも5-6ヶ月ぐらいかかることもあると思われるので、ある程度経過したら連絡して状況を聞いてもいいと思います。少しアグレッシブに感じてしまう部分があるのですが、切り替えて対応すべきだと思います。

上記に述べたことは、それが直接出版に繋がる繋がらないということと関係ないとは思いますが、これも一つの「審査」と思って積極的に行うことが必要と思われます。こういう態度などは、多かれ少なかれ直接的な要素と関係してくると思い、長々と書かせてもらいました。自分への反省も込めて。

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