ハリケーン・ミルトン、そして学術本プロポーザル提出後と予測できない出来事について (1)

10日ほど前に学術本出版の前提としてのプロポーザルの内容について書き終えたのですが、今週ハリケーン・ミルトンが自分が住むオーランドを初めとするフロリダを直撃し、なかなかの混乱状態でした。幸い自分の住んでる所の被害はなかったのですが、フロリダ州西部を初めとして、なかなか辛い状況にあります。そのことは自分に2017年春にプロポーザルがケンブリッジ大学出版会によって採用された後、実際の本の全体の草稿を出す2021年6月までの間、本を執筆することに影響した予測できないことを想起させました。本の執筆はマラソンであり、様々な執筆者にとっても経験することであろうかと思います。そこで今回と次回にわたって、博論改訂作業の過程をそれらの出来事と交えて述べたいと思います。

プロポーザルが採択された2017年の春頃には全6章ある中で、第3、4、6章は手元にある資料を中心に基となった博論の章を理論的(具体的には男性性やAgency)に結びつけ・再構成して書き終えていました。同時に2017年の秋にスイスのジュネーブの国連図書館で国際連盟の資料にあたりながら、上記以外の章、特に第1、2章については日本と台湾に再度研究しに行く必要性を感じるようになりました。

そうした中、2018年の春にオレゴン州立大学でポスドクをしながら、現職のオファーを得ることになりました。ただ、そこで1つ目の問題となったのはアメリカの就労ビザについてです。当然自分としては2018年の8月から現職に赴任するつもりでいたところ、ビザの発行に1年かかると言われ、急遽日本に帰国しなければならないことになりました。想定外のことですので、日本で仕事などもなく、収入のあても無かったので、埼玉の実家にお世話になることになりました。単身生活だったので柔軟性があるにはあったのですが、そうでなかったらどうなっていたか想像もつきません。健康面でもこの時期はあまり良くなく、夏から2019年の2月にかけては辛かった記憶があります。なんとか、第1章を書くための研究を行えただけでした。ビザなどアメリカの移民関連のテーマは、自分にとっては個人的に関連するすることで、現職就任後も続く話ではあるのですが、ひとまずこの時の話にとどめておきます。

その後幸運なことにTaiwan Fellowshipという台湾外交部の研究奨学金を得ることができましたので、2019年3月から7月にフロリダに来るまでの間、台湾で研究活動をすることができました。特に第二章の執筆に関して必要な一次・二次資料を集め、第1章とならんで教義の法制史にならないように、家族の境界が社会的にどのように想定され、それがどのように日本と台湾において異なるアプローチながらもジェンダー的課題として共通の問題として現れるよう分析しました。その後、それらの議論を再構成するような形で各章のアウトラインを書くようにしていきました。上記の日本滞在は心身・経済的にも厳しいものがありましたが、それでも台湾での滞在を含めて資料を集め、本を執筆に向けての再構成をする貴重な時間を得ることができ感謝しています。次回書くように、現職就任後その機会は事実上失われたで、今はラッキーだったと思うようにしています。次回に続く…

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