ハリケーン・ミルトン、そして学術本プロポーザル提出後と予測できない出来事について (2)
前回の記事において、ハリケーン・ミルトンによるフロリダへの被害を踏まえて、学術本を書き終えるまでの予想できない出来事を踏まえながら改訂過程を説明しました。今回は2019年夏にセントラル・フロリダ大(UCF)で勤務を開始してから全体の草稿を提出した2021年6月までの過程について書きたいと思います。この時期の予想できない問題としては、皆さんが思いつく2020年3月にアメリカで本格的に始まったコロナ、半年なり改訂に専念させてもらえる研究資金の不存在、そしてビザ変更などに伴う負担挙げられます。2個目以外がどちらかというと心理的な要因が強く、一般化が難しく、精神論的になってしまうのですが、それでもresilience(へこたれないこと)が大事であったと言いたいです。
コロナに関してはまだUCFでのありとあらゆることに慣れない2学期目に起きました。一年目については改訂作業より、教務を中心に全てに慣れることに集中していました。ただ、それが終わるまでにZoomなど違うことに対応しないといけなかったので、なかなか大変でした。もちろん、アメリカ・日本ともにコロナの影響を受けましたが、学校の学生の置かれている立場や家庭環境、フロリダの政治的・社会的雰囲気など過重的に影響を受けたのかなと思います。ただ、幸か不幸か外出もせず、2020年と2021年の夏に集中して改訂作業に集中することができたとも言えます(あまり学術界の仲間と喋ったりしなかったことは後々後悔しますが)。2020年の夏と秋学期には、フロリダに来る以前に東京と台北で追加研究をしていたので、それを基に第1・2章を改訂しました。本書においては内地日本と国際的な家族観と結びつけ、そのような内地日本をさらに植民地台湾と結びつける構造的な部分の叙述についてです。2021年春から6月にかけては、台湾人女性の自由とその行使を年齢や他の構成要素を基に分析した第5章と、序論(本の計画書を書く時に大体のイメージができている)と結論を書き直しました。本来であれば、この時期により学会やワークショップなどへ行って自分の研究を売りたかったのですがそれもできず、現在に至るまで自分の弱い部分だと思っています。
上記のようになんとか改訂が終わったのですが、スケージュール的にはなかなか厳しかったです。というのも、有名な大学であれば大学が半年なり1年なり教務のない研究のための期間を提供してくれたりします。或いは自分で外部の資金を得ることが挙げられるのですが、自分の場合は、それを得ることができなかったので、夏休みを中心に改訂するしかありませんでした。計画書が良くない(つまり能力の問題)、日本研究関連の減少などが原因でしたが、下記の第3の要素と関連してそもそも応募要件に当てはまらないケースが多々ありました。日本の財団等は日本の大学に勤務していたり年齢が要件であったり、アメリカでは外国人の自分は申し込めないケースがありました。コロナがあった関係で准教授Associate Professorに昇格するまでの審査期間が1年延長したので、出版のための期間に余裕がありましたが、アメリカの大学でも日本の大学でも時間的問題が大きいのではないかと思います。
最後に、直接関係はなかったのですが、グリーンカード(永住権)問題がありました。アメリカの大学で日本人の自分が教えるには就労ビザが必要なのですが、これは6年間で最終的に切れるので、助教授になって教え始めた1学期目に学科にグリーンカードのスポンサーになってもらう必要があります。OKしてくれたとしても、大学指定の弁護士とコミュニケーションを取ったり、費用も妻の分を含めて7,000ドルと高く、書類確認、指紋検査、健康診査とこの過程が2023年1月まで続き、もやもやすることになりました。もちろん、この権利に浴せること自体ありがたいことなのですが、面倒さはなかなかのものでした。
読者の大部分の方にとって、グリーンカードの問題は関係ないですし、コロナもひと段落したことで、自分のケースは少し特殊であったかなとも思います。ただ、ジャーナルの論文以上に長期間にわたり、予想もできなことが多々起こりうるという点では、参考になったのかなと思います。長期間にわたるという点について、強調するとしたら初草稿提出が最後ではないということです。つまり、その後のことについては別途説明が必要で、次回から述べたいと思います。