AAS (米国アジア研究学会)参加を振り返って
みなさまお元気でしょうか?前回のブログでは学術本の出版契約直後のことを書いたのですが、今回のブログでは先週末米国オハイオ州のコロンバスで行われたAASへの参加について書きたいと思います。日本からも大学・図書館・財団などの教職員が参加されているのですが、まだまだ馴染みがないと思われます。AASって何?っていうことも含めて、過去の比較や反省点を含めた体験記などを書けたらな、と思います。
AASは第二次大戦中から出発した日本を始めとするアジア諸国の研究を発表・推進する学会です。毎年3月頃年次大会があり、大体三千人くらい参加していると思います。日本で研究していると、そもそも範囲が大き過ぎると考えられるのでは、ないでしょうか?そもそも史学や文学などで分岐していますし、東洋史・東南アジア政治・インドと宗教などと細分化しているからです。AASでも実際問題としてはそういった分類等で数百のパネル討論が行われるのですが、年次大会としては色々な領域の国内外の研究者・司書・出版社・リサーチアドミニストレーター等が一堂に集合して、学術の見本市・展覧会的な感じもします。
今回特に感じたのは前回参加した時(2022年)と比べて活気があると思った点です。前回はまだコロナに影響を受けている最中でのハワイでの開催だったのですが、研究者などの参加が低調に感じ、研究大会や出版社のブースなどを含めて活気がありませんでした。今回は、コロンバスという割と地味?な場所にも関わらず各種の参加者が増加しただけではなく、研究への意欲やそれに伴う会話など、イキイキしてるように感じました。去年のシアトルとかもそうだったのかもしれませんが(自分は参加せず)、ともかくも復活している感じがしました。同時にこれまで以上に、初の参加者向けの集まりだったり、大会が始まる前に個別の研究や類似のことに関する訓練をするセッションなど、組織者が参加することを有意義に感じてもらう催しなどを提供して、良い方向に進んでいることを実感することができました。
自分のことに関する事では、自分で率先して作ったパネルを成功させるだけではなく、社交をできるだけ頑張ることをゴールとしていました。パネルのことでいえば、友達一人を除いて、知らないか詳しく知らない人に去年の夏場に声を書け、個々人の報告の要旨を集め、自分でパネル全体の要旨を書いたのちにパネル参加者からコメントをもらい、そして最終的に提出することから始まります。そして、パネルが承認された後も、報告を提出するスケジュールを考えたり、何度か連絡しつつ自分の報告を含めて討論者へ提出します。そして年次大会の当日にそれぞれ発表し、コメントをもらうというかんじです。上記のことと関連するならば、ハワイの時と比べ聴衆も増えて席が埋まり、質問もしてもらい嬉しい限りでした。
もう一つ意識したのは社交活動です。ある程度共有した関心(例えば、日本史や東アジア研究など)があるとはいえ、不特定多数のスタンディングで集まるような場所で、どのように声をかけていって、雑談を開始しながらも自己紹介をしつつ、研究のことを話すことについては、反省することばかりでした。意識では重要性をわかっているのですが、まだま技術と経験が不足している感じです。既に話している人の中に、どのタイミングでどのように間に入るなど、日本ではおろか、シカゴ大学での博士課程の時でも習ったことがなく、難しく感じています。そのことについて日曜日に友達と昼食どきにそのことを話したくらいでした。一方で、分科会などでは聞いた内容などに依拠して話したり、本を出版した関連から院生や知らなかった研究者から話しかけてもらえる機会も増え、以前のAASよりは自分を紹介できる機会は多かったように感じます。日頃から訓練と経験が必要で、自然にはできないことを再確認した次第です。
日本から北米へ参加するとなると、こちらでPhDを取った人ならともかく、英語や円安などの外部要素だけではなく、上記にあるような振る舞い等でハードルが高く、戸惑ったり、孤独に感じることも多いのではないかと思います。4月の新学期直前にそこまでするメリットもあるのだろうか?と感じることも確かだと思います。しかしながら、これだけの規模の中に研究者である自分を据えて、色々な人々がいることを実感することは、研究そのものだけではなく教務などにも良い刺激になるのではないでしょうか。北米に身を置いている身である自分でもそう感じています。来年のAASはバンクーバーで、東京などから直行便もあることから、来られたことがない研究者は参加されてはいかがでしょうか?